SSブログ

最後の実習 [勤労学生 ...その後]

昨夜京都より帰って来ました~。
3日間の実習を終え、これでほんとに全ての授業が終了致しました。
あとは来春に資格を頂くのを待つだけ[るんるん]

あ、その前にちゃんと今回の課題を出さねば頂ける物も頂けませんね。
あとチョイと頑張ります[あせあせ(飛び散る汗)]


土曜日は携帯で投稿したように京都芸術センターよりスタートで、終日学外でした。

京都芸術センターの建物は、平成5年に小学校の統廃合のため閉校となった明倫小学校です。
明治のはじめに建てられた建物で、芸術センターになってからもなるべくそのままの雰囲気を壊さないように工夫して改修を行い、大切に使われています。
とってもステキな建物ですので、ちょっと地味ですけど観光にもオススメです。


午後は祇園の一力亭の前で集合。

一力亭.jpg

一力亭はと~っても格式の高いお茶屋さんで、もちろん一見さんお断り。
創業約300年、現在も営業中であるため大石内蔵助が良く遊んだと言う内部の様子も見学はさせて頂けません。残念!


ここからバスに乗って島原口へ。

島原が花街だった頃の正面入口、大門です。

島原大門.jpg

現在でもこの内には花街だった頃の建物がいくつか残っています。


輪違屋.jpgここは置屋の輪違屋。

置屋とは芸妓さんや太夫の居るところです。
現在も営業中のため中には入れません。

昨年上戸彩が主演したドラマ「輪違屋糸里」で糸里(上戸彩)がいたところです。
あのドラマの中で登場してた輪違屋さんの建物(内部)って、やっぱりちゃんと取材して作ってるのかなぁ?
って、どんなだったっけかな???


角屋2.jpgそして揚屋さんであった角屋さんへ。
角屋1.jpg
揚屋さんとは、料亭のようなところです。
芸妓さんや太夫はここへ来てお客様のお相手をします。

あ、お相手と言っても歌舞を披露したり、お話やお酌などで、お泊りとかではありません。
ここはあくまでも料亭なので。

こちらは昭和60年で営業を終え、現在は「角屋もてなしの文化美術館」として、建物や調度品の保存と、島原での揚屋文化に対する理解を深める場としての活動をされています。

ただ、諸事情により年間の公開日数が非常に少ないです。
実は今回も休館中でしたが、授業ですので見せて頂けました。

外観でも大きくて立派な建物だと思うのですが、室内は華やかな宴席に用いられただけあって、様々な趣向が凝らされていて見事です。
そんな素晴らしいお部屋の床柱とかに、新撰組が暴れてつけた刀傷とかがあります。
新撰組、あんまり好きではなかったけど、ますます好きになれなくなりました[パンチ]

一階の大座敷(松の間)では、芹沢鴨が暗殺された夜も宴会を開いていたとか。

 Wikipediaより 
 16日(旧水戸藩士が残した「川瀬家文書」による。『新選組遺聞』などでは18日)、新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開いた。芹沢は平山五郎、平間重助、土方歳三らと早めに角屋を出て壬生の八木家へ戻り...
...大雨が降る深夜、突然、数人の男たちが芹沢の寝ている部屋に押し入り、同室で寝ていた平山を殺害し、芹沢に斬りつけた。
 

ちなみに、大座敷だけは一度火事になっており、大正15年に再建された物です。
と言うことで、幕末の頃とは少し違っているかも知れません。
お庭の臥龍松が見えることで「松の間」の名が付いているようなのですが、座敷同様この松も幕末のものではありません。
当時は1本の立派な松(現在は幹だけが残っています)が這わせてあったのが、枯れてしまったので新しい松(3本使用)で再現しています。



って事で、とても充実の見学でした。
角屋さんにはまた改めて、じっくりと行きたいと思いました。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。